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主な小説更新の場所。 ジャンルぐっちゃ 注意書きをよく見てくださいね。 オリジナル>版権の割合で多分更新しますぐ。
「ばいばーい!」
この春、保育園に入園した隣の家の子供が、誰もいない公園のベンチに向かって手を振る。その母親は少し気味悪げな顔をしながら、子供の手を引いて足早に公園を去っていった。
そう、そこには誰もいない。
…この間まで、私も見ることは出来なかった。
子供が手を振ったベンチに近づいていくと、そこに座った銀髪の青年がこちらを見て「よぉ、」と手を上げる。
「元気か?菊。」
「えぇ、生きてますよ、まだね。」
悪い冗談にも、ギルベルトさんは楽しそうに笑う。
「死んだら此処にこいよ!俺はいつでもいるからよ。」
そういって私の頭を撫でるような仕草をするも、私の髪は微かに吹く風に流されるばかりだ。彼の腕には実体がない。青白くも見える肌を透かして、ベンチの隣にあるブランコが見えた。
その様をぼぉ、と眺めていると、ギルベルトさんは少し悲しそうな顔をしてベンチから立ち上がった。
「…菊、もう暗くなってきたぞ。」
早く家に帰れよ、なんてまるで父親のように言う。といっても、彼は私を小さい頃からずっと見つめてきたらしいから、彼に言わせれば、「しょうがねぇだろ」って感じなんだろう。
「まだ5時ですよ、」
「もう、5時だ。日が落ちるのが遅くなったからって、油断すんなよ。…俺は助けにいけねぇからな。」
「…はい。」
彼はここから動くことが出来ない。
この公園のベンチにしか存在することが出来ないのだ。
なんでも、彼は人を待っているらしい。彼女ですか?と聞くとそんなんじゃねぇよ、と大笑いしていたのが印象的だった。
「でも、もう大丈夫じゃないんですか?」
「…大丈夫なんて、ねぇよ。お前、取り憑きやすいんだよ。」
この間、ほんの数週間前くらいに、私はギルベルトさんに助けられた。
そのときから私には彼が生きるこの不安定な世界を見ることが出来るようになったの
だ。そう、あのまだ冷たい風が吹いていた晩から
* * *
その日はなんだか、ずっと右目がギリギリと締め付けられるような痛みがあった。
ちょうど、クライアントからの相談で、古い日本家屋に行った日であったから、きっと埃かなにかで炎症を起こしているのだろうと思ってた。
その痛みが頭の方へと、じわじわと移動してきているのに気付くまでは。
ガンガンと頭が激しく叩かれているかのような痛みが走る。
仕事を終えて、早足で帰っていた私は、その痛みに耐えきれずに近くの公園へと立ち寄り、ベンチへと腰を下ろして頭を抱えた。
「…か、ぜでも引きましたかね。」
独り言がやけに夜の公園に響いた。
頭痛を抑えようと、常備薬を取りだして水で喉奥へと流し込む、ふぅ、とひとつため息を吐くと、足元でなにかが回るような音がした。
ふと、背中をなにか冷たい物で撫でられたような気がして、思わずベンチから立ち上がった。
「…本格的に風邪ですかね。」
自分でも意識しないうちに、そっと痛む右目へと手が伸びていた。
「おい、」
不意に、低い声が耳に届き、右目に伸ばした腕が何者かに捕らえられた。バッとその方向をみると、銀髪を暗闇に輝かせて、青年がこちらをじっと見つめていた。ジジッと音を立ててついた街灯に照らされた瞳は赤だ。
「菊、お前、このままだと死ぬぞ。」
「…はい?」
しまった、面倒な人種に捕まってしまったと思った。酒の匂いはこの距離ではわからないが、言動がおかしい。
関わりたくなくて、愛想笑いをしてその場を立ち去ろうとしたが、足が動かない。まるで接着剤で足の裏が地面に付けられてしまったかのようだった。
「死にたいか?」
青年が静かに問うた。その眼差しは痛いほど真っ直ぐだった。
「なにを言って…」
「生きたいか?」
彼の瞳に映るのは私の瞳、右目の眼帯の白さ。そこに一筋の陰がぬらりと滑り込んだ。その陰は私の白で覆われた右目の上をずるずると這い回り、まるでそこから体内に入り込もうとしているようだった。
私は急に全てが恐ろしくなって、彼に掴まれた腕を乱暴にふりほどいた。拍子抜けするほどにあっさりと私の腕を放し、彼がまた私に向かって問うた。
「死にたいのか?生きたいのか?」
「…生きたい、です。」
無意識に言葉が喉から零れ落ちていた。
その言葉に目の前の彼がにっと笑い、「そうか、」と言うと、そっと私の右目の方へと彼の白い細い腕が伸ばされた。私は拒むことも出来ずに、ただ突っ立っていることしかできなかった。
爪の先まで白い。
そんなことを思っていると、彼はそっと私の右目から何かをつまみ取るような動作をしてから、それを私の眼前に晒した。
「潰すけど、いいよな。」
それは、真っ赤な花であった。椿の花のようにも見えた。毒々しいくらいの血の色を滴らせた花が、彼の手の中で花開いていた。
「…花ですか?」
「もう、痛くなくなったろ。お前、好かれやすいんだな。」
「痛い…?…あ、」
確かに、あの頭が割れるような痛みは綺麗さっぱりと消え去っていた。それこそ、何か悪い物が取り除かれたかのように。
「油断してると、首が落ちるぞ。」
いたずらっ子のように笑い、不吉なことを言い放ってから、彼は手の平の中にある椿へとそっと息を吹きかけた。すると、みるみるうちに椿の花びらが茶色く変色し、ついには灰のようになって彼の手の平から零れ落ちた。
「…ありがとう、ございます…?」
なんだかよくわからなかったが、なんだか酷く危ないところを助けてもらったような気がして、疑問詞を付けながらも感謝を述べた。
「気を付けろよ、菊。」
ケセセ、と特徴的な笑いを零す青年は、そのまま闇の中へと溶けて消えてしまった。
* * *
「あの時は本当にびっくりしました。」
「ケセセ、悪かったな!どうせお前、もう見えなくなると思ったからよ。」
ところが、見えたのだ。
昨日の出来事は夢だったのだろうかと悩みながら、なんとなしに公園を眺めた私の目に、彼が映ったのだ。
私は昨日の出来事が何だったのかを尋ねたくて、彼の方へと歩いていくと彼は不思議そうな顔をしてこちらをじっと見つめていた。
そうして、「昨日はどうも、」といった私に向かって大きな声で笑い、言ったのだ。
「俺、死んでるんだけど、まだ見えるのか!!」
「…し、死!?」
「お前、今すっげぇ不審者だぜ、ずっと1人で話してるからな。」愉快そうに笑う彼の言葉にハッとして、辺りを見渡すと、子供を連れたお母さん方がこちらからさっと視線を外す。
「…うわ、最悪ですね。」
「まぁ、気にすんな!」
彼は赤い瞳を眇めて、緩く微笑んだ。
彼は、一体何者なのか。
それが当面の私の研究題材だった。
もちろん趣味のような物で、元から地道に調べ上げることが苦で無い私にはいい暇つぶしであった。
彼と話して、彼の情報を得て、それをもとに調べる。
それは簡単なようで、全く簡単ではなかった。
まず、彼は自分の事を話そうとはしなかった。よく話すのは、公園にくる子供のこと、自分が生きていたときの友人のこと、弟のこと。
そんなことはよく話すのに、こと自分の事をとなると、おもしろいくらいに話さなかった。あぁ、彼が話さなかったのはそれともうひとつ。
それは、彼の待ち人のことだ。
男性なのか、女性なのか、友人なのか、家族なのか、恋人であるのか。なにも話さなかった。ただ、静かに笑い、ベンチの後ろに堂々と立つ、桜の木を眺めるだけだった。
「…今年も咲きませんね、この桜。」
「ふぁ?あぁ、そうだなぁ。」
春の暖かさにつられて、周りの桜は薄桃色の花を花開かせているというのに、彼のいるベンチの後ろの桜だけは、咲いていなかった。
病気なのか、小さい頃から家の前の通り沿いにあるこの公園を眺めてきたが、この桜が咲いたところは、一度も見たことがないように思えた。
「いつ咲くんだろうな。」
ぼう、と桜の木を見つめるギルベルトさんに、「咲かないんじゃないですかね。」という言葉は喉奥で消えた。
彼は、この桜が咲くのを望んでいるのか。
なんだか意外に感じていると、ギルベルトさんが桜を見たまま、私に問うた。
「菊は、夢十夜って知ってるか?」
「…夏目漱石、ですか?聞いたことはありますけど。」
「…そうか、」
それきり、彼は口を閉ざしてしまった。
いつになく感傷的な彼をいぶかしみながら、私も一輪も咲かせていない桜の木を見つめた。
* * *
「夢十夜、ですか。」
なんとなく気になって、馴染みの古本やへ行って探し求めた。その本はあっさりと見付かって、私を拍子抜けさせた。
夏目漱石だから、そりゃあ見付かりますよね。なんて自分に意味のわからない理由を言い聞かせて、少し埃の被っている本の表紙をなぞる。
中性紙に少し青みがかかったインクが沈んでいた。その文字に指を這わせながら、ページを捲る。話は題名の通り、十の夢の物語。
”第一夜”
”こんな夢を見た────── ”
* * *
「…ギルベルトさんっ!」
仕事の合間を縫って、ギルベルトさんの元へと駆けつけると、彼はじっとあの咲かない桜を見つめて立って居た。
彼は、桜の木の元に佇んでいた。
「…菊、もう、100年たってたんだな。」
そう言って笑う彼の腕は、普段の白さを通り越して、まばゆい太陽の光に消えてしまいそうだった。否、消えかけていた。
「もう、そんなに経ってたのか。」
彼がその煌めく銀髪を揺らして、唇を桜の幹に押しつけると、まるで桜が応えるかのように風に吹かれて揺れる。この間まで無骨な茶色一色だった桜は、鮮やかな薄桃色に染められていた。
「…ギルベルトさん、」
呟いた声は、もはや彼に聞こえることはない。
彼は、もう私の世界からは切り離された存在になろうとしていた。
「遅すぎだぜ。」
ケセセ、と笑って、彼はそのまま眠るように瞼を閉じて桜の中へと消えてく。
呆然と見つめる私の頭上で、桜の木の枝に止まった黄色い頬の鳥が短くないた。
季節は、春だ。
END
夢十夜 夏目漱石
第一夜
こんな夢を見た。
腕組をして枕元に坐すわっていると、仰向あおむきに寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭りんかくの柔やわらかな瓜実うりざね顔がおをその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇くちびるの色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然はっきり云った。自分も確たしかにこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗のぞき込むようにして聞いて見た。死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと眼を開あけた。大きな潤うるおいのある眼で、長い睫まつげに包まれた中は、ただ一面に真黒であった。その真黒な眸ひとみの奥に、自分の姿が鮮あざやかに浮かんでいる。
自分は透すき徹とおるほど深く見えるこの黒眼の色沢つやを眺めて、これでも死ぬのかと思った。それで、ねんごろに枕の傍そばへ口を付けて、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね、とまた聞き返した。すると女は黒い眼を眠そうにみはったまま、やっぱり静かな声で、でも、死ぬんですもの、仕方がないわと云った。
じゃ、私わたしの顔が見えるかいと一心いっしんに聞くと、見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃありませんかと、にこりと笑って見せた。自分は黙って、顔を枕から離した。腕組をしながら、どうしても死ぬのかなと思った。
しばらくして、女がまたこう云った。
「死んだら、埋うめて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片かけを墓標はかじるしに置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また逢あいに来ますから」
自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。
「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか」
自分は黙って首肯うなずいた。女は静かな調子を一段張り上げて、
「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。
「百年、私の墓の傍そばに坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」
自分はただ待っていると答えた。すると、黒い眸ひとみのなかに鮮あざやかに見えた自分の姿が、ぼうっと崩くずれて来た。静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の眼がぱちりと閉じた。長い睫まつげの間から涙が頬へ垂れた。――もう死んでいた。
自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘った。真珠貝は大きな滑なめらかな縁ふちの鋭するどい貝であった。土をすくうたびに、貝の裏に月の光が差してきらきらした。湿しめった土の匂においもした。穴はしばらくして掘れた。女をその中に入れた。そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。掛けるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。
それから星の破片かけの落ちたのを拾って来て、かろく土の上へ乗せた。星の破片は丸かった。長い間大空を落ちている間まに、角かどが取れて滑なめらかになったんだろうと思った。抱だき上あげて土の上へ置くうちに、自分の胸と手が少し暖くなった。
自分は苔こけの上に坐った。これから百年の間こうして待っているんだなと考えながら、腕組をして、丸い墓石はかいしを眺めていた。そのうちに、女の云った通り日が東から出た。大きな赤い日であった。それがまた女の云った通り、やがて西へ落ちた。赤いまんまでのっと落ちて行った。一つと自分は勘定かんじょうした。
しばらくするとまた唐紅からくれないの天道てんとうがのそりと上のぼって来た。そうして黙って沈んでしまった。二つとまた勘定した。
自分はこう云う風に一つ二つと勘定して行くうちに、赤い日をいくつ見たか分らない。勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭の上を通り越して行った。それでも百年がまだ来ない。しまいには、苔こけの生はえた丸い石を眺めて、自分は女に欺だまされたのではなかろうかと思い出した。
すると石の下から斜はすに自分の方へ向いて青い茎くきが伸びて来た。見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、すらりと揺ゆらぐ茎くきの頂いただきに、心持首を傾かたぶけていた細長い一輪の蕾つぼみが、ふっくらと弁はなびらを開いた。真白な百合ゆりが鼻の先で骨に徹こたえるほど匂った。そこへ遥はるかの上から、ぽたりと露つゆが落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴したたる、白い花弁はなびらに接吻せっぷんした。自分が百合から顔を離す拍子ひょうしに思わず、遠い空を見たら、暁あかつきの星がたった一つ瞬またたいていた。
「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。